文責 橘 隆一 |
「緑化工」という言葉は戦後に生まれたもので、1951年に倉田益二郎が兵庫県姫路地方のはげ山復旧について検討した際に初めて使いました。緑化工の定義は「木と草によって早期・確実に、面的・立体的緑化を行い、環境・土地および景観の保全を図る工法」となっています。緑化工の発展過程を3つに区分すると以下の表のようになります。
前期(〜昭和14年頃) | 治山工や砂防工の緑化が治山造林・砂防造林と呼ばれ、点状あるいは線状にしか緑化されていなかった。 |
中期(昭和14〜40年代) | 新しい技術として『斜面混播法』が考案された。この工法の特色としては、(1)点・線的緑化から面的緑化への進化、(2)木本と草本の混生、(3)導入植物の多様化、(4)播種工中心の植生導入、などが挙げられる。しかし、斜面混播法よりも初期生育の早い外来草本類を主体とした全面早期緑化方式が強調された。 |
現代(昭和40年代〜) | それまでの外来草本類主体の緑化は耐寒性や耐痩地性が劣り、しかも崩れやすいことからあまり好ましくないという問題が起き、ようやく木本を主体とし草本が混成する多様性に富む木本主体型の群落になるような植物選定を行うようになってきた。 これにより面的なものから植生状況だけでなく根圏へも配慮する立体的な緑化になり、そこに生息する小動物から微生物に至るまでのあらゆる生物のことも考える生態学的な緑化へ変化した。 |
自然な緑は人間の手によってつくられるものではなく、自然自身がつくるものである。その自然回復に対して手を貸す行為が本来あるべき緑化であると考える。
植生の再生は『目標群落の設定→緑化基礎工→植生工→植生管理工』という一貫した技術の流れにしたがって行う。